映画『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』は面白い?つまらない?正直レビュー|池松壮亮の怪演と、結末が問いかけるもの

映画『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』は面白い?つまらない?正直レビュー|池松壮亮の怪演と、結末が問いかけるもの 映画

🎬 ひとことで言うと

シネくま
シネくま

最強の敵が現れた——それは”ちさとがいなかった世界のまひろ”だった。


結論:映画『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』は面白い?つまらない?

シリーズ3作目にして、アクションの密度と敵キャラの完成度は過去最高水準に達した。「楽しめる映画」という点では文句なし。ただしシリーズが育ててきた”ゆるい日常”の空気はかなり後退しており、この変化をどう受け取るかで評価がはっきり割れる。

🙂 6 / 10
★★★★★★☆☆☆☆

アクションは本物、でも”あの日常”が恋しくなる

阪元裕吾監督が積み上げてきたシリーズの強みは、脱力した日常とガチすぎるアクションの落差にあった。本作はその後者を徹底的に磨きあげた一方、前者の比重をかなり落としている。

池松壮亮演じる冬村かえでの存在感と、後半の死闘は間違いなく見ごたえがある。特に前半の引き込みと後半の死闘は、シリーズでも屈指の見ごたえ。

それでも「いつものベイビーわるきゅーれ」を期待すると、空気の違いに戸惑う場面もある。本作は続編でありながら、”別視点のスピンオフ”のような構造にもなっている。シリーズ単体として面白い映画であることは確かだが、シリーズの魅力という軸で測ると評価は一段下がる。

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基本情報

配信Amazon Prime Video ほか
公開/放送開始2024年9月27日(劇場公開)
上映時間112分
ジャンルアクション、コメディ、青春

あらすじと作品の特徴(ネタバレなし)

殺し屋協会に所属するプロの殺し屋コンビ、杉本ちさと(髙石あかり)と深川まひろ(伊澤彩織)は、宮崎県への出張任務中に想定外の存在と鉢合わせする。

銃・格闘・ナイフすべてが超一流、たったひとりで150人殺しの達成を目指す一匹狼の殺し屋・冬村かえで(池松壮亮)だ。任務が激しく交錯し、2人は逃れられない衝突へと引きずり込まれていく——。

阪元裕吾監督・脚本、アクション監督は園村健介が続投。先輩殺し屋・入鹿みなみ役で前田敦子がシリーズ初参戦。

2024年7月には第23回ニューヨーク・アジアン映画祭でワールドプレミア上映され、日本映画として初めてダニエル・A・クラフト賞(アクション映画賞)を受賞している。

正直レビュー:ここが良かった・悪かった

良かった点:池松壮亮と、シリーズ最高のアクション密度

  • 冬村かえでというキャラクターの完成度が別格 演技派のイメージが強い池松壮亮が、本作では圧倒的な身体能力と無駄のない戦闘スタイルを見せる。ナイーブさと凶暴さが共存する怪演は「ここまでやるのか」という驚きを伴う。単なる強敵ではなく、内面に複雑な孤独を抱えたキャラクターとして成立しており、シリーズ史上もっとも深みのある敵と言っていい。
  • 後半の死闘がシリーズ最高水準の緊張感 まひろが一度完全に打ちのめされ、そこからリベンジへと向かう構造は、感情的な引きとアクションの密度を両立させている。CGに頼らない肉弾戦の迫力はそのままに、今作は規模感とスピードが一段上がった。クライマックスに至るまで中だるみがほぼなく、エンタメとしての完成度は高い。

気になった点:日常パートの後退と、シリーズらしさの薄まり

  • ちさととまひろの”生活感”がかなり薄い シリーズを支えてきたのは、殺しという非日常と、ゆるゆるした2人暮らしの日常との落差だった。本作は舞台が宮崎への出張ということもあり、自室でのだらけた会話や生活シーンがほぼ消えている。テントでのトーク場面はその代替として機能しているが、ホームの空気とは別物で、物足りなさが残る。
  • 敵の存在感が強すぎて、主役2人が受け身に見える場面がある 本来このシリーズはちさととまひろが物語の主軸を動かす。しかし今作は冬村かえでの行動が物語を牽引しており、2人は「巻き込まれる側」に近い立ち位置になっている。池松壮亮の圧倒的な存在感の代償として、主役コンビの主体性がやや薄く感じられる点は否定できない。

向いている人・向いていない人の特徴

向いている人

✅ 向いている人
  • シリーズ既視者で、アクション密度の高い集大成を求めている人
  • 池松壮亮の演技幅に興味がある人、または本作で初めて注目した人
  • CGなし・俳優の身体能力ありきのリアル系アクションが好きな人

向いていない人

✗ 向いていない人
  • 1作目・2作目の”ゆるい日常コメディ”の空気感が一番好きだった人
  • ちさととまひろの掛け合いや生活シーンを主目的に見ている人
  • シリーズ未視聴で、いきなり3作目から入ろうとしている人

深掘り考察:冬村かえでは何者だったのか

冬村かえでという存在の本質

冬村かえでは、いわゆる”最強の敵”ではない。正確に言えば、最初から完成された怪物として現れるわけでもない。

炎上事件に加担した150人の抹殺という異様な依頼をひとりでこなし続ける中で、経験を積み、無駄を削ぎ落とし、少しずつ”完成”に近づいていく存在だ。

銃も格闘もナイフも超一流でありながら、他人とのコミュニケーションが極めて苦手で、部屋の中にテントを張って生活するなど奇行も多い。強さと孤独が同居したこのキャラクターは、単純な悪役の文脈に収まらない。

彼は”殺しを続けた結果、そうなってしまった人間”であり、だからこそ怖い。

まひろにとっての”もう一人の自分”

伊澤彩織がインタビューで語っているように、冬村かえではまひろが「もしそうなっていたかもしれない」姿として解釈できる。

組織に属さず孤独に仕事をこなし、感情が削ぎ落とされ、殺すことだけが残った人間——それが冬村かえでの行き着いた先だ。

まひろもまた、社会に馴染めず、殺し屋という仕事で生きている。環境が少し違えば、同じ場所に辿り着いていた可能性はゼロではない。

このことを念頭に置いてクライマックスの対決を見ると、2人の戦いは単なる強さの激突ではなく、”分岐した未来同士の衝突”として機能していることがわかる。

ちさとがいたから、まひろは壊れなかった

ではなぜ、まひろは冬村かえでにならなかったのか。答えはシンプルだ——ちさとがいたから。

冬村かえでは一人でテントを張り、日記に殺しの記録をつけ、感情の出口を持たないまま完成に近づいていった。対してまひろには、ダラダラした会話があり、誕生日を気にかけてくれる相棒がいた。無駄に見える時間こそが、人間らしさを保つ装置だった。

本作で日常シーンが薄まり、まひろが仕事に追われる描写が増えているのは、一時的に”冬村側に近づいている状態”とも読める。ちさとの存在が相対的に弱く見える構成になっているのはそのためかもしれない。

日常の消失は何を意味するのか

シリーズを通じて”日常↔非日常”のバランスが作品の核だった。家での会話、ゆるい時間、生活のにおい——それがあるから、殺しのシーンが際立つ。

今作はその構造を崩すことで、何かを見せようとしている。宮崎という非日常の土地、テントという仮住まい、ひっきりなしに続く仕事。ちさととまひろが「普通の生活」から切り離されれば切り離されるほど、冬村かえでとの距離が縮まる。

日常が消えることで、2人が”殺し屋である事実”だけが前景化する。その居心地の悪さこそ、今作が意図した緊張感の正体ではないか。

150人目の意味と、物語が終わらせたもの

冬村かえでにとって松浦は150人目——悲願達成の最後の一人だった。その瞬間にちさととまひろが介入したことで、完成が崩れた。物語はここから動き出す。

重要なのは、彼がただ邪魔されたのではなく、”完成しかけていた”という点だ。150人の積み重ねで到達した境地を、土壇場で壊された。だからこそ逆上し、容赦なく2人を追い詰める。

クライマックスでまひろがかえでに差し出したハンカチを、かえでが拒否した瞬間——それは強さの問題ではなく、”人としての敗北”を示す演出だ。殺し屋として完成した存在が、最後に人間として完成できなかった。そこにこの映画の結論がある。

総評:観るべきか迷っている方へ

迷っているなら、1・2作目を観ていれば「観て損なし」と断言できる。アクションの質とボリュームはシリーズ最高水準で、池松壮亮の怪演だけでも見る価値がある。

ただし「ベイビーわるきゅーれらしさ」——あのゆるくて愛おしい日常の空気——を強く求めていると、物足りなさを感じる可能性がある。

シリーズの集大成として”戦いを描く”ことに振り切った一作として観れば、十分に満足できる仕上がりだ。

シリーズ未視聴の方は、1作目から順番に観ることを強くすすめる。


STREAMING

本作品はAmazon Prime Videoで配信中。
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※配信状況は変更される場合があります。最新情報は公式サイトをご確認ください。

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