映画『キリエのうた』は面白い?つまらない?正直レビュー|3時間の忍耐を強いる映像詩の評価と結末

映画『キリエのうた』は面白い?つまらない?正直レビュー|3時間の忍耐を強いる映像詩の評価と結末 映画

🎬 ひとことで言うと

シネくま
シネくま

「映像は美しい。しかし映画としての面白さは決定的に欠けている、観る側に忍耐だけを強いる実験作。」


結論:この映画は面白い?つまらない?

映像詩としての美しさはある。ただし娯楽映画として観ると、ほぼ鑑賞に耐えない。

総合評価:🚫 ★1 / 10|視聴非推奨——3時間の長尺で山場なし、忍耐を試されるだけの実験作

アイナ・ジ・エンドの歌唱力、岩井俊二監督の映像美、松村北斗・黒木華・広瀬すずという豪華キャスト——揃っている素材はすべて一流です。

しかしそれらが「映画としての面白さ」に変換されることなく、2時間58分という長尺の中に静かに沈んでいきます。

山場がない。感情の爆発がない。物語のゴールが見えない。 この三重苦が揃った結果、体感時間は実際の上映時間を大きく上回ります。

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※本ページはプロモーションを含みます。

基本情報

配信Amazon Prime Video ほか
公開/放送開始2023年10月13日(劇場公開)
上映時間178分
ジャンルヒューマンドラマ、音楽映画

あらすじと作品の特徴(ネタバレなし)

岩井俊二監督が脚本・監督を手がけた音楽×群像×喪失の物語。上映時間は2時間58分。

路上で歌う少女・キリエ(アイナ・ジ・エンド)を軸に、彼女と関わるさまざまな人物の過去と現在が断片的に絡み合っていく群像劇。

東日本大震災という歴史的な出来事を背景に、喪失・流転・記憶をテーマとした作品として公開された。

松村北斗・黒木華・広瀬すずという実力派キャストが脇を固め、アイナ・ジ・エンドが歌唱と演技を兼任。

音楽が物語の核になることが期待されたが、公開後は賛否両論が激しく分かれた問題作でもある。

正直レビュー:ここが良かった・悪かった

良かった点:映像美とアイナ・ジ・エンドの歌唱力

  • 岩井俊二監督特有の映像の美しさは本物
    光の扱い方、風景の切り取り方、色調——映像としての完成度は確かに高水準です。
    「映像詩」として観るならば、その美しさには一定の説得力があります。岩井俊二監督の「画を作る力」は本作でも健在で、これだけは評価できます。
  • アイナ・ジ・エンドの歌唱力そのものは本物
    路上ライブのシーンで聴かせる歌声は圧倒的な存在感があります。歌唱力という一点においては、キャスティングは正解だったと言えます。
    ただしその才能が映画全体を引っ張る力には変換されていません。

気になった点:構成の壊滅とテンポの致命的な悪さ

  • 2時間58分で山場がほぼゼロという構造的な欠陥
    時間軸の前後が頻発し、人物の関係性が断片的なまま提示され続けるため、「誰の何の話を観ているのか」が終盤まで掴みにくい構成になっています。
    感情の爆発を意図的に抑制しすぎた結果、ずっと静か・ずっと平坦・ずっと眠いという体験が約3時間続きます。映像詩としての美しさが、そのまま退屈さに転化してしまっています。
  • 豪華キャストの完全な無駄遣い
    松村北斗・黒木華・広瀬すずという実力派を揃えながら、演出が抑制的すぎるため誰一人として感情の爆発を見せる場面がありません。
    キャストのポテンシャルが映画の推進力に変わることなく、静かに消費されていく構成は「役者の無駄遣い」以外の言葉が見当たりません。

向いている人・向いていない人の特徴

向いている人

  • 岩井俊二監督の映像美・世界観を純粋に愛している人
  • 物語の起伏よりも「映像と音楽の空気感」を重視する人
  • 3時間の沈黙と間を「豊かな余白」として受け取れる人

向いていない人

  • 娯楽映画として楽しみたい人(ほぼ全員)
  • 物語に明確なゴールと感情的な山場を求める人
  • 長尺映画に忍耐力を試されたくない人

映画『キリエのうた』に原作はある?

本作は岩井俊二監督によるオリジナル脚本の映画です。

原作小説はありませんが、本作の公開に合わせて岩井俊二本人による同名小説が刊行されています。映画と小説は並走する形で世界観を共有しており、小説版でより深く背景を補完することはできます。

ただし映画単体での完結度の低さを小説が補うという性質のものではありません。

深掘り考察:『キリエのうた』はなぜ「失敗作」なのか

「喪失」というテーマが映画の構造を飲み込んだ

本作は東日本大震災による喪失を背景に持ち、キリエという少女の流転の人生を描いている。このテーマ自体は映画として成立しうる重さを持っている。

しかし岩井俊二監督は「喪失の感覚」を映画の構造そのものに反映させようとしたように見える。

つまり、明確なゴールがない・感情の爆発がない・物語の推進力がないという映画的欠点を、「喪失した後の世界の静けさ」として様式化した。

この試みは一部の観客には届くが、大多数の観客にとっては「映画として機能していない」という体験になる。テーマと構造の同一化という試みが、エンタメとしての映画を壊してしまった。

アイナ・ジ・エンドの「歌」が物語を止める逆説

本来であれば、路上ライブのシーンは映画に感情的な爆発点をもたらすはずだった。アイナ・ジ・エンドの歌唱力はその期待に応えられるレベルにある。

しかし実際の構造では、歌のシーンが物語を「進める」ではなく「止める」機能を果たしている。歌が流れるたびに物語の時間が止まり、観る者はナラティブの外に置かれる。

これが一度二度ならアクセントになるが、繰り返されるうちに「また止まった」という疲弊感に変わっていく。

歌を物語の推進力にするか、物語を一時停止させる装置にするかという選択で、本作は後者を徹底した。その判断が★1評価の大きな要因だ。

広瀬すず・松村北斗の「使われ方」が示す演出の限界

広瀬すずと松村北斗はそれぞれ相応の演技力を持つ俳優だ。しかし本作での彼らの役割は、感情の爆発を見せることではなく、断片的なシーンの中でキリエの周囲を漂うことに限定されている。

特に広瀬すずが演じるキャラクターは、物語の後半で重要な位置を占めるはずだが、その感情的な核心が画面上でほとんど開放されないまま終わる。

演出が俳優の感情を解放することを一貫して拒否しており、それが「豪華キャストの無駄遣い」という印象を強烈に残す原因になっている。

「岩井俊二らしさ」が完全に裏目に出た作品

岩井俊二監督の代表作である『Love Letter』や『花とアリス』は、静けさと余白の中に感情の爆発を潜ませる演出が成立していた。

それが成立していた理由は、物語の構造が観る者を感情的なゴールへと確実に向かわせていたからだ。

本作ではその「感情的なゴールへの牽引力」が失われ、静けさと余白だけが残った。岩井俊二監督の美学が、映画としての機能を完全に上回ってしまった結果として、★1という評価は妥当だと考える。

総評:観るべきか迷っている方へ

映画『キリエのうた』は、岩井俊二監督の映像美とアイナ・ジ・エンドの歌唱力という二点においては確かな水準を持っています。

しかし娯楽映画・エンタメとして観るならば、約3時間の忍耐と引き換えに得られるものが極めて少ない作品です。

岩井俊二作品の熱狂的なファン以外には、正直おすすめできません。同じ時間があれば、他の作品を選ぶことを強くすすめます。


※本作品はAmazon Prime Videoで配信中。プライム会員は追加料金なしで視聴可能です。(映像は美しい。でもそれだけです。3時間という時間の重さに見合う体験は、残念ながらここにはありません。)

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※配信状況は変更される場合があります。最新情報は公式サイトをご確認ください。

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